他人を見下す人がいます。

持っているモノ・金・人脈・知識…

こういったものを使って人を見下した態度で迫って来る訳です。

 

このような見下す態度を取る人はどんな心理・特徴を持っているのか?

僕はコンプレックスの多さやある種のうぬぼれが原因だと考えます。

 

そして、その手の人物がいたらどのように対処すべきなのか?

最強なのは、”無視して相手をシャットアウトする事”だと考えています。

 

では、具体的に見ていきましょう。

 

人を見下す心理とは?

コンプレックスの高さから人を見下す

コンプレックスが高い人物は、そのコンプレックスの対象に引っかかるような行動を取る他人を見ると嫌悪感を得る事になります。

その結果、見下すという行動を取り始めてしまうのです。

 

例えば、”学歴に強いコンプレックス”を持っていた人であれば、自身が学歴を得られていないという事に対して、恐れの念を抱くようになるのです。

だからこそ勉学に必死になり、結果いい学歴を付ける事が多くなるのです。

 

これが自己完結しているのならまだ解りますが、度が過ぎ他人に対してもこう思うようになるのです。

「あの人はあんな学歴で恥かしくないのだろうか?」

と。

 

価値観は人それぞれです。それを受け止めて上げて相手の考えを理解してあげれる人物の方が人として望ましいのですが、人は必ずしもそう動く訳ではありません。

コンプレックスの高さの原因となった考え方を人にまで押し付け始めてしまい、結果自分の基準にそぐわない人間を見下し始めてしまうという訳です。

 

やられた側はどう思うのか?

もしかして自分の考えに偏りはなかったのか?

と考える余地は無かったのか?と思ってしまいますね。

 

他人と比較させられて成長した

他人と比較する環境の中で成長を続けていた人は、いわゆる”負け組”に自分が属されてしまう事に対して恐怖するようになります。

そして、自分が勝ち組になった際に調子に乗り、”負け組”になった方への攻撃が始まるという訳なのです。

 

例えば就活なんかで「稼ぎが良い誰もが知っている大企業」に自分が入社したとしましょう。

他人と比較して生きている人は、自分に対して負けてしまっている人に対しても当然比較を行いますから、人を小ばかにするような言動・行動を取ったりするのです。

これはもちろん入社した会社に依らず、例えば年収単体でも、自分の奥さんでも、持っているモノでも、何でも同じことが言えます。

 

当然やられた側は不快な気分になりますし、やった側の事を恨むようにもなってしまう事でしょう。

 

自分を奮い立たせる為の比較ならいいですが、他人を貶める為の比較は配慮が無いと言わざるを得ません。

 

優越感に浸ってしまっている

優越感に浸っている人もまた、人を見下す傾向が出ます。

優越感を感じるだけなら問題ないのですが、その優越感に浸るのが楽しくなってしまっている場合は厄介な事になります。

 

優越感を感じる事が目的になってしまっていますから、快感に浸る為に相手に対して不快な気持ちを誘発させるような行動や言動を平然と取り始めて来るのです。

 

例えば手持ちのバッグ等で、中々手を出す事が出来ない高級ブランドのバッグを自分が持ち合わせていたとするなら、そのバッグを使って優越感に浸ろうと思うのです。

そして手頃な人物を見つけて、何となくバッグの話を振るのです。

「このバッグは~というブランドの~で…」

「ところであなたがお持ちのバッグは…」

「このバッグは○○限定の商品で~」

と。

 

そして、そのバッグの話をして相手より素晴らしい自分のバッグを見せる事で、優越感を得ようと考える訳です。

 

受けた側は困惑するか不快な気分になります。

 

見下す側は自分の快感の為にそうしてしまっているという訳です。

 

 

人を見下す人の特徴とは?

自分が好きなナルシスト

自分が好きと言う事自体は素晴らしい事です。

自己肯定感があるからこそ、自信を持った行動・言動が取れるようになるからです。

ですが問題は、その自己肯定感が行きすぎた場合です。

 

自信があるを通り越して、天狗になってしまうなんて事もあるのです。

こうなったら非常に厄介で、人に対して不遜な態度を取ったり、自分のすばらしさを世間に伝える活動を”相手の意思にかかわりなく”やってしまいます。

 

自信があり、他人への配慮がある人物は、いくら自分が優秀だからと言ってもそれで人を傷つけたりしません。

その才能を用いて人を救ったり、楽しませたり、喜ばせたりします。

 

自分が好きなのはいいですけれども、それを人に押し付けるのはやめた方がいいですね。

 

小さな枠の中で優位に立とうとする。

小さな世界で優位に立とうと考える人物がいます。

この小さな世界というのは、学校、クラス、部活、会社等の1単位を差しています。

 

自分の優位性を語り自分を評価したいと考えたとき、他人を不幸にするやり方が1つあります。

それは、「他人を落とす」というやり方です。

 

他人を引き下げるか、他人の弱さを引きだす事で相対的に自分が優位に立とうと考えて動いてしまうのです。

この考え方が元になって、人を見下すようになる訳です。

 

井戸端会議をする主婦のこんな逸話があります。

ある主婦が、高級なベビーカーを買ってきたことを聞きつけ、何時も会話する主婦たちに負けじと更に値の張るベビーカーを購入。それを聞いた別の主婦がまたまた別のベビーカーを買ってきて・・・・

といった小競り合いの話です。

 

これはモノで自分を優位に立たせようとするからこその行動だと言えますね。

 

尊敬できる人とは、自分より強い人を常に見出し常に成長する人だと思います。

他人を落として自分の株を上げに行った場合、外の世界と比較された時”たががしれて”しまいますよね。

 

それにモノやカネで張り合っても中意味が伴わなければ、上手に使いこなせませんから、そっちを引き上げる事の方が大事だと思います。

 

心理・性格分析が”行きすぎ”てしまっている。

心理分析や性格分析をする事は構いませんが、その分析結果が好ましくないものだと出た際に人を見下し始めてしまう人がいます。

 

心理学でも性格分析でもなんでも分析を行う事そのものは別に悪ではないのですが、それを使って、人の人格を決めつけるだとか、人を悪く言うとか、人の将来を勝手に決めるとかそういう事をするのは、嫌われます。

 

例えば、自分の持ち合わせている心理学の知識で、人を判断した際に悪い結果が出た時、人へ「お前さんはダメな人間なんだよ」と言おうものなら相手は不快な気分になるでしょう。

 

将来に何が起こるのかはわかりません。

分析はあくまで分析であり、物事の”ある一端”を表現しているにすぎません。

そして、知識や学問というものは”誰かの役に立つ事に価値があります”

人を嫌な気持ちにする道具に使うのは違うと思うのです。

 

自分が全てだと思っている

自分は正しい。自分に誤謬は無い。こう考えている人もまた人を見下すようになります。

 

自分に絶大な信頼を置いている事が原因で、相手と意見が食い違った際は相手の事を非難したりするのです。

その結果、相手に対する見下しの目、非難の目、怒り等を人にぶつけるようになっていくのです。

 

自分が全てだと言わんばかりの人に対して、第三者はうんりしますし嫌な気分になる事でしょう。

 

 

見下す人への対処策

無視する

見下す人への最大の対処は、無視ではないでしょうか?

 

無視するという事は、

  • 相手を認めない。
  • 自分は受け入れない。

と言う事です。

 

相手は、自分の歪んだ考え方や性格が原因で出て来る訳ですから、そんなものは正確でも正統でもなんでもありません。

 

やるべき事はただ1つ。「受け入れ拒否」をする事なのです。

 

見下す人も延々と受け入れ拒否を貫かれると、矛先を別に向けるはずです。

無視されると話の発展のしようがなくなります。

 

実力でねじ伏せる。そして許す。

もはや見下す事が出来ないくらいの圧倒的な差を見せつけるというのはどうでしょうか?

 

営業成績で負けているなら、3倍の成績で勝つ。

年収で撒けているなら、相手の3倍稼ぐ。

手持ちのモノで負けているなら、品性もマナーも気品もモノも整える。

と。

 

あんまりにも差が出ると、見下す人は見下すどころかあなたを遠ざけるようになります。

横に居るだけで自分が貧相に見えてしまうし、押しつぶされそうな感覚に襲われるからです。

 

そして、以前に自分を見下した誰かを実力でねじ伏せたなら、是非「赦す」という事をやってみてほしいです。

「見下した!」「見下された!」の嫌なスパイラルを自分で打ち切るのです。

 

相手は競争に負けたうえ、自分が粗相をやらかした事を簡単に赦された、という構図になります。

もはや人を見下している状況ではありません。

常識的な思考が少しでも残っているのならば、赤面してその場を去り今までの自分を振り返る事になるでしょう。

 

まとめ

見下す人の心理と特徴。いかがだったでしょうか?

 

知識でも稼ぎでもなんでも、多く持つ事は悪い事ではありませんが、それが高じて周囲の人間の気分を害する真似は、褒められたものではありません。

 

なお、見下すという行動の源泉には、”高い意識”というものがあるのもまた事実です。

それを他人にも自分にも良い方に活用する事が大事ですね。