学校で、会社で、いじめの現場を目撃したり、噂で聞いたりしている人はきっと多い事でしょう。

 

いじめを行う人、そして虐められる人…

人間関係を見ていくと時折みかける、この虐めの原因は何なのでしょうか?

 

虐めに合いやすい要因8個と、いじめっ子といじめられっ子の以外な関係について、述べていきたいと思います。

 

虐められやすい人の心理・特徴

他人に対して強い恐怖感を持っている

他人に強い恐怖感を持ち合わせている人は、いじめられやすい傾向にあります。

他人に対して強い恐怖感を抱く理由は簡単で、他人を信用できていない事が原因です。

 

他人を信用する事ができないから、相手に対して何かの恐怖心を抱く事になります。

そして、その恐怖心が元になって、不安な気持ちを内包しつつ対応したり会話したりするようになるのです。

その不安そうな様子は相手に伝わります。

当然、虐める人は不安がる人を見て虐めたいという衝動に駆られるようになるのです。

 

違和感がある人間関係を無理に続けた結果、そうなってしまったとも言い換える事が出来そうですね。

 

強過ぎる個性を持っている

個性が強過ぎるひとも、虐められやすい人の特徴の1つだという事が出来ますね。

 

個性が強い人というのは、言い換えれば周囲に自分を合わせる事に多少難のある人だという事ができます。

 

周囲に自分を合わせる事を苦手とする人は、周囲の人からは場の空気を乱す変な人、という目で見られる事になります。

虐める側も虐める側でそういう人を受け入れる容量が不足している所が問題点だと思いますが、どうであれ個性の強さのせいで虐めやすく感じてしまうのです。

 

個性が強く相手に受け入れがたい方はいじめられやすい傾向にあります。

 

余りにも空気を読まなさすぎる

周囲の状況に自分を合わせる事を意地でもしようとしない人もまた、いじめられやすい傾向にありますね。

 

 

集団を運営する上では、どうしても集団特有のルールと言う物が出来てきます。

そのルールを守る事が出来ないとなると組織運営に大きな支障が出てきてしまうのです。

 

ところで、空気を読めない人というのは、いちいち聞かないと解らない人ですから、組織内の一部の人から悪い意味で目を付けれらる結果を招いてしまうのです。

 

空気を読めない人は、目の上のたん瘤のように思われることもあるという事なのです。

 

ネガティブ思考を持っている

ネガティブ思考を持っている人も、人から虐められる事があります。

 

ネガティブな思考を持つ事その物が、そもそも悪い空気を生んでしまっている訳です。

周辺の、虐める事をやる人はそんな悪い空気が大好きです。

 

暗い雰囲気のいかにも弱そうな人を見つけたら、その人を恰好の餌食にしてしまう事でしょう。

そもそも虐めるサイドの人間も弱々しいです。

ですから、勝ち目のない戦いは絶対に挑みません、だからこそ弱そうな所を狙ってくるわけで、結果、弱々しく見えるネガティブな人が狙われるという事になるのです。

 

無理を利かせたポジティブ思考を持っている

ポジティブ思考を持つ事そのものは悪い事では無いのですが、そのポジティブも自分に無理を利かせたものであれば逆に、周囲にはネガティブとも捉えられる違和感を出す事になるのです。

 

ポジティブ思考が大事であると、聞いて育った人はポジティブさを無理に醸し出すべく、自分に無理を利かせ無理矢理ポジティブに振る舞おうと考えるのです。

しかし、そんな無理を続けていても、周囲はその違和感に気づきます。

無理に自分を取り繕っていると人に感づかれてしまい、違和感のある”はみ出た人”という印象を作り出す事で、最終的にいじめられやすくなるのです。

 

ポジティブとは自分の心を楽にするための処方箋。

ポジティブシンキングは大変素晴らしい考えだと思うのですが、そのポジティブさを無理に演出するのはダメだと述べさせていただきました。

 

では、何が”適切ポジティブさ”になるのでしょうか?

僕は、「自分の心を楽にする事」がポジティブシンキングの肝だと考えています。

 

例えば、「ポジティブにならなきゃ!」と考えて、無理に自分を押し殺すというやり方は、自分に無理を効かせています。

 

一方で、「ポジティブにならなきゃ!」と無理矢理自分を変えようと意気込んでも苦しいし、別に今のままでもいいんじゃない?と、自分を受け入れていくのが”適切なポジティブ”だと考えます。

 

自分を受け入れ素のままの自分で動ける人は、「苦しくありません」そして、「違和感の感じられるような行動」を無理にとる必要もありません。

素の自分をそのまま表現するようにする事が大事なんだと考えています。

 

結果的に、それは自分を大事に居する事に繋がり、自分を大事にする人には自分を大事にしてくれる人間があつまる事になるのです。

 

我が強過ぎる

我が強過ぎる人というのも、いじめられやすい性質だという事が出来ます。

 

何かのプロジェクトをやろうとした時、我が強く出過ぎて強く自己主張を行い続ければ周囲の人間もムッときます。

ムッと来ただけで済めばいいのですが、最悪はあなたに危害を加えるべく何かをやって来るなんて事も考えられます。

 

その1つが、いじめなのです。

相手を理解し、理解されの関係がベストでしょう。

 

愚痴りすぎる

愚痴は周囲の人のやる気をそぎ落としますし、周囲の人に不快感を与えてくれるものです。

ですから、愚痴る人の周囲にはネガティブな事象が多く集まりやすいのです。

 

例えば宴会会場の中で、1人愚痴り続けていた人がいたとしましょう。

周囲は楽しもうとしているのに1人だけ愚痴り続けています。その愚痴る姿を見て人は不快な思いを抱く事でしょう。

「折角楽しい空気なのに…」

「なんで場を壊すかなぁ…」

と、変な目を向けられるようになるのです。

 

すると当然愚痴ってばかりの人への評価が大きく下がる事になるのです。

 

よく愚痴る人はその行動を一度良く見直してみるといいでしょう。

 

おとなしすぎ自己主張しない人

おとなしすぎる人は、自己主張をしない人は能動的な人とは言えませんね。

 

自己主張をしないおとなしい人は周囲に何れかの影響力を与える事を自分からやろうとはしないのです。

ですから、周囲の人はそんな人を見て、「受動的な人だ」「周りに貢献しようとしない人だ」と考えるようになるのです。

 

例えば、重用な物事を決める会議で、何も発言せずただその場に居合わせているだけなんて状況であれば、気づく人は「あの人は何で発言しないのだろうか?」と怪訝な表情を浮かべる事になるでしょう。

 

ある程度の自己主張だってしていいと思います。

 

おまけ:虐めっこといじめられっ子は紙一重

虐めっこといじめられっ子の関係を考える時に、この”虐めっこといじめられっ子は紙一重である”と言う考え方は外せません。

 

虐めっこが人を虐める理由は、心が弱いからです。

虐めは、ある種の悲鳴なのです。

 

「自分の代わりに被害を受けてくれる”スケープゴート”的存在が欲しい」

「嫌な思いを受けたのだから誰かで発散しよう!」

といった思いが原動力で人を虐める訳ですが、これは自分が受けた嫌な思いを他人に丸投げする行為です。

幼稚園で学んだ「自分がやられて嫌な事は人にしてはいけません」が守れていない人という事になります。

 

変わっていじめられっ子はどんな動きをみせるのでしょうか?

 

延々といじめを受け続け、嫌な思いをさせられ続けます。

 

しかし虐めっこの権威が底に落ちるような事が起き、みじめな立場になった時、”元”虐められっ子は大きな選択を背舞われる事になります。

「よくも散々な目に合わせてくれたな!仕返しだ!」

もしくは、

「赦そううではないか。相手の為に、そして自分の為に。」と。

 

もし報復を選んだ場合はもれなく”元いじめっ子”が標的にされぼろぼろになっていくことでしょう。

こうやって、延々と報復合戦が起き続ける事になるのです。

 

いじめっ子が凋落したときの対応が、立部の逆転か、悲劇への終止符かを分けているのです。

 

まとめ

虐められやすい人の傾向に、

  • 他人に対して強い恐怖感を持っている
  • 強過ぎる個性を持っている
  •  余りにも空気を読まなさすぎる
  •  ネガティブ思考
  •  無理を利かせたポジティブ思考
  • 我が強過ぎる
  •  愚痴りすぎる
  • おとなしすぎ自己主張しない人

と言ったものがあると述べさせていただきました。

 

いじめっ子もまた弱者の一部です。

そして、虐められやすい人はしばしばその”弱い人”の標的になるのですが、その後の対応でその人の心の広さが解ると言えます。