人は社会の中で生きています、学校、会社、家庭、自治体様々なものに人は属しておりその中で起こるさまざまな人間関係がある訳です。

それを科学的に、そして心理学的に解明するものが社会心理学なのです。

 

人間は2人以上の人が集まった時に、特有の動きをすることがあります。

例えば協力でしたり、敵対でしたり、情けでしたり、慈悲でしたり、様々なものがありますよね。

 

このような一人の人間しかいなかったときに起こりえない、 他人と自分との間に生まれる心理学もまた社会心理学と言えます。

 

この社会心理学も、元をただせば「プラトン」「アリストテレス」といった古代ギリシアの哲学者達や、われ思う、故に我ありで有名な「デカルト」、そして無意識を発見した「ユング」…

と、そうそうたるメンツが研究にかかわっていたのです!

 

ところで、この社会心理学には2つの種類に分けることができます。

一つは、心理学的社会心理学。

もう一つは、社会学的社会心理学です。

 

そもそもの社会心理学の定義は「個人は他人に対してどのように考えたり、感じ止まったりするのか」、また「個人の思考や感情行動は他人によってどのように影響されるのか」これを明らかにするのが社会心理学なのです。

 

では、詳しく見ていきましょう。

 

社会心理学2種類

心理学的社会心理学

心理学的社会心理学というのは、主に個人の心の内側に焦点を当てた社会心理学です。

個人の心理状態から人間関係に関連する心理を解き明かすという心理学だと言い変えることができますね。

 

社会学的社会心理学

社会学的社会心理学というのは、社会的文化的政治的要素の方に着眼点を置いた社会心理学ということができます。

社会情勢でしたり、生まれ育った環境、土地柄、政治のあり方といった条件が一人一人の人間に、どのような影響を及ぼすのかということを研究するのが社会学的社会心理学です。

 

ここまで2つの心理学を述べさせていただきましたが、社会学的社会心理学も、心理学的社会心理学も非常に密接な関係にあり、お互いの研究結果がお互いの学問に影響しあうという関係にあります。

 

アプローチ方法が違えど、研究自体似ているのですから、そうなっても何もおかしくないでしょう。

 

社会心理学は哲学から始まった!

社会心理学のあらすじ

元はといえば心理学は、 古代ギリシアのプラトンでしたり、アリストテレスと言った哲学者たちが、哲学的に人の心を考え始めたのがスタートです。

ただこの頃は、まだ心理学というよりも哲学と言った方が表現上正しくなってくるような状況です。

 

間が空いて1500年頃に、デカルトの「われ思う、故にわれあり」が有名になり、個人と心理学の研究がより盛んになっていきました。

 

それから数世紀後の、20世紀に入りようやく社会心理学というジャンルが、登場しそして現在に至っております。

 

ちなみにですが、心理学者の「H・エビングハウス」は、心理学の過去は長く歴史は短い、と評しています。

長い事哲学がメインだった訳です。

 

こう考えると、心理学というくくりでは非常に大昔から研究はされていたのですが、社会心理学というくくりで考えるとまだまだ歴史が浅い研究分野であると述べることができます。

 

心理学は、元をただせば哲学だった

社会心理学も元をたどれば哲学です。

古代には前述のとおり、プラトン、アリストテレス、ヒポクラテス、といった哲学者が様々な議論をかわしています。

 

哲学者たちは、人の心は肉体がなくなると滅ぶのか、それとも永遠不滅なものなのかといった議論を交わしています。

これは分かりやすく言うと、魂というものは存在せず体に付随する物理的な「もの」のような存在なのか?

それとも、何か”特別な存在”なのか?ということを考える議論なのです。

 

他にも、生まれたばかりの赤ん坊が真っ白な状態で産まれてきているのか、それとも生まれた時からひとりひとり特有なインプットが1人1人になされて生まれて生きているのか?

という議論もされています。

 

例えば、プラトンは魂は不滅な存在である。肉体と心はそれぞれ別々なものなのであると、論じています。

アリストテレスは、魂と体は一心一体の関係にあり、体が消滅することで心も同時に消滅すると論じています。

ちなみにヒポクラテスは、心は脳に存在すると述べていますね。

 

この時点においては、まだ心理学は哲学の範疇の中にあるということができます。

 

ここから一気に時代は進み16世紀前後に話が飛んで行きます

 

デカルト「我思う故に我あり」

デカルトという哲学者は皆さんもご存知かもしれません。

このデカルトは、先述したプラトンの「肉体と魂は個別の物説」を支持するような考えを持っています。

 

デカルトの「われ思う、故にわれ在り」という言葉はあまりにも有名ですね。

この、我思う故に我ありという言葉は、

「ありとあらゆるものを疑い尽くしたとしても、疑っている根源である自分の存在は、否定することは出来ない」という意味です。

 

この世の全てを疑って掛かったとしましょう。

机のうえのペンも幻、他人も幻、この記事もまた幻影だとするのです。

そして、実は自分は存在していないのではないか?と疑っていくのですが、これだけは矛盾してしまっているのです。

「今までモノの存在を疑ってかかった考えてきた自分の意識」は否定できないですよね。

考える自分自身という存在がなければ、そもそも哲学することができないわけですから。

 

このデカルトの考え方は、肉体と魂が別々なものであるという考え方を遠回しに証明する考え方となりました。

 

ここからデカルトは、人は生まれながらにして何でかの観念を持って生まれてくる。という考え方を提唱するようになるのです。

これは後に「能力心理学」として、研究分野に昇華していきました。

 

赤ん坊はまだ”無色”な存在、とする「イギリス経験論」

デカルトの考えにはもう1つ重要なものがあります。

それは、生まれながらにして観念を持ち合わせるとする「生得説」です。

 

そんなデカルトの生きていた16世紀からさらに2世紀すんだ18世紀、 新しい心理学の考えが芽生え始めます。

 

J・ロック、D・ヒュームといった心理学者が現れ、彼らはデカルトの生まれながらにして観念を持つという考えに、対峙する考えを発表します。

 

つまりこれは「人は生まれながらにして何も持っていない、真っ白な状態で産まれてくる。

「ありとあらゆる観念は、その後の経験によって変化する」と彼らは述べたのです。

 

心理学的な要素の連合によって精神を説明しようという試みこそが連合心理学なのです。

これを「連合心理学」と言います 。

 

実験が一番!科学的心理学の目覚め

19世紀、いよいよ近代的な心理学と言えるような研究がうまく開けます。

 

W・ヴントというドイツの哲学者が、心理学の解説しそこで科学的に研究するようになったのです。

 

ここまでは、心理学というものが哲学者の想像力や思考でできていたのですが、ここからは、生理物理学、観察、実験、自然科学、といった科学的な学問を取り入れ、客観的事実から心理学の法則を導き出すような体制が整ったのです。

 

例えば、被験者に音や光浴びせてどんな反応を示すか、また、どのような行動をとるのか、こういったことを客観的に観察し何でかの法則を導きだそうとしていったのです。

 

これを「実験心理学」と言います。

 

“木を見て森を見ず”と指摘した、ゲシュタルト心理学

ヴントに続いて、ゲシュタルト心理学と呼ばれる考え方が心理学の世界に現れるようになりました。

 

このゲシュタルト心理学というのは、 人間は物事をバラバラに個別に認識するのではなくて、バラバラな情報を包括的に理解することで物を理解する という考え方なのです。

 

例えば、遊園地で遊んだある特定の遊具のハンドル部分だけ覚えているだとか、観覧車の留め具のボルト1本記憶している…みたいな記憶の仕方をしている人はまずいませんよね。

 

そうではなくて、遊園地で遊んだことが楽しかっただとか、お化け屋敷が楽しかったと言ったように、遊園地の遊具を構成する一つ一つのパーツ単位で記憶しているのではなくて、 遊園地そのものという総合的な情報のまとまりで思い出を残します。

これらの遊具も究極まで細かく見れば、1本のボルトや、遊具を操作するハンドルが存在しているはずですが、そういう超具体的な1点をピンポイントで覚えている訳じゃないですよね?

 

印刷物でも、点のかたまり一つ一つを認識しているのではなくて、点がたくさん集まってできた文字もしくは、画像を見てそれが何なのかを判断しています。

 

このように、人間の思考は一つ一つバラバラな情報の集まりではなくて、情報と情報がたくさん集まることで、できるという考え方がゲシュタルト心理学なのです

 

検証結果が一番大事な、行動主義

ヴントの提唱する、内観法と呼ばれる実験方法は、被験者の感想とか、主観的な意見で結論を出していました。

 

これに異を 唱え、「主観的で曖昧な点が科学的ではないよね」と言い、新しく始まったのが、行動主義です。

 

これは被験者が言葉で自分の心理状態を開設したりするのではなくて、何かの刺激を与えた時の反応を客観的に観察できるよう測定をすることで研究を進めるという考え方です。

ネズミに迷路を走らせたり、犬に餌を選ばれたりするあった実験はこの行動主義の考え方から生み出された実験なのです。

 

ただしこの行動主義は、当然人の心の中の動きでしたり、想いと言ったものを全く反映できていないものですから、 この考え方にも批判がなされ、最終的にこの行動主義にもテコ入れがなされたのです。

 

例えば、傷ついている人を見た時の反応を考えましょう。

援助するという気持ちを科学的に見ている時、人はどう動くのか考える時、「あの人が可愛そうだ」とか、「僕が彼を救い出さねば」と言った気持ちが、心の中で動くはずなのですが、それを検証結果に全く含めないのが、旧来の行動主義なのです。

 

そんな行動主義に改良がされ、新しく生まれたのが、新行動主義です。

これはかつての”行動主義”では無視されていた、人間の意思とかそういったものも飯能の一つとして取り扱うべきだという考え方に基づいた心理学です。

 

無意識はここから始まった。フロイト心理学

フロイトはオーストリアのウィーンで神経科医をしていた経歴の持ち主で、彼はまた心理学業界に大きな影響を残しました。

彼は人の心の中にある、無意識というものを発見するに至ったのです。これはそれまでの心理学では全く触れられてこなかった新しい概念となりました。

 

今までの心理学では、人間が明確に意識したことしか取り扱ってこなかったのです。

 

人は意識しないうちにいつも同じ行動をとってしまったり、ある出来事を強烈に覚えていたりフラッシュバックしたりする原因を、この無意識としたのです。

 

ただ、この無意識の発見は素晴らしかったのですが、後の フロイトはありとあらゆる欲求の源が性的な衝動から起きるという考え方を持ち、それは結局、非科学的とされあまり有効な考えとは言えなくなってしまいました。

尚この考えは各方面から、生理的にも拒否されていたりもします。

美術もスポーツも、哲学もそしてこの心理学も、全てが性欲が原動力だ、と言う事になるからです。

 

代わりに、このフロイトの考え方を少々改め、性欲による衝動で人が動くという考え方から、文化的・社会的な要因を絡めて無意識を論ずる、新フロイト派 と呼ばれる派閥を形成するに至ります。

 

社会心理学の目覚め

1908年、20世紀に入りやっと、社会心理学という研究分野が生まれました。

社会の中で個人はどう動くのか?が、ようやく研究され始めるようになったのです。

元は哲学からスタートし、社会心理学というものにまで発展するまでだいぶ時間がかかりましたね。

 

その後の社会心理学は、W・メーデの手により測量と実験により研究がなされるようになっていきます。

さらにその後は、N・トリプレットにより、集団レベルでの社会心理学の研究がスタートするようになりました。

 

そして今現在の、社会心理学へと繋がっていったわけです。

まとめ

心理学の元祖は、哲学からと言う事が理解できますね。

社会心理学の歴史に至っては、まだ1世紀と少しくらいしか研究されていな若若しい研究分野となっており、今後の研究の進捗がおおいに期待できますね!