商店街で、会社の中で、家庭内で、耳をつんざく怒鳴り声を上げる人間がいます。

 

そんな大声張り上げる事は無いのに…と思っても不思議と大声をあげて来る彼らの行動には、どんな意図があるのでしょうか?

 

答えは、意外な事に

  • 内心救いを求めている。

と言う物だと考えています。

 

そんな怒鳴る人の特徴は、

  •  何かトラウマを抱えている
  • 自分の権威が落ちる事を懸念している
  • 複雑でよくわからない人だと思われやすい
  •  不安定な人と言う事もある。

です。

 

では詳しく見ていきましょう。

 

 

怒鳴る人の心理

怒鳴る人は内心救いを求めている。

怒鳴る人はどんな気持ちで、何を求めてあんな怒鳴り声をあげて来るのでしょうか?

その答えは、「理解されたい」「救われたい」という思いの表れです。

 

 

怒鳴る人は、至る所で怒鳴るという行動を取り始めます。

例えば飲食店で店員さんの対応が少しでも気に食わなければ容赦なく怒鳴ります。

そして住宅街のど真ん中であっても、話や物事に気に入らない点があればやはり容赦なく怒鳴るのです。

 

彼らは何故このように怒鳴るのか?

その本質は、「理解されたい」「救われたい」という気持ちと言う事が出来るのです。

 

怒鳴る人も元々怒鳴るような素養を持った人間だった訳ではなくて、最初こそは普通な人である事が多い訳です。

ですが、人生のどこかで「理解してほしかったのに理解されなかった」「救ってほしかったのに、救ってもらえなかった」「愛されたかったのに、愛されなかった」と、悲しみ、くやしさ、寂しさ、苦しさを抱え込んでしまっている事があるのです。

その結果、その怒りが全面に出る形になり、怒鳴りへと昇華する訳です。

 

つまり、「お前さんなら解ってくれる」「解らないなら解らせるまで」という思いを載せて怒鳴っているという事です。

 

小さい子供相手に本気で戦う大人はいない。

小さい子供相手に怒鳴るなんてことは普通ありませんし、喧嘩するなんてことはありません。

 

例えば、小さい子供が自分の足元をおもちゃの剣で叩いてきたとしたなら…

「こらこら、ダメじゃないか」と叱るか、「あーっ、やられたなぁ!」とおどけるなりして穏便に事を済ますのが普通だと思います。

 

ですが相手が爆弾を抱え、包丁を持ったテロリストかだったらどうでしょうか?

おそらく悲鳴を上げつつ逃げるか、もし戦わねばならないとなったら、声張り上げて本気で”叩きつぶし”に向かうはずです。

 

この違いはなんでしょう?

僕は脅威の有無だと思います。

 

脅威を感じ無い物に対して、人はムキになったりしません。

一方脅威を感じる存在には強い感情的反応が出るはずです。

 

怒鳴る人の特徴

何かトラウマを抱えている

怒鳴る人はやはりトラウマを抱えている事が多いです。

そして、そのトラウマを怒りと言う形で表現してしまうのです。

 

理解されたいと願って誰かに話しかけたのだが、結局誰も自分を理解してくれなかった…そんな時に人は強い憤りを感じるとともに強い怒りを覚えるようになります。

理解されたいという強い思いが、そのまま怒りとなって噴出するのです。

 

まさに過去のトラウマが怒鳴るという行為を引き出していると言えるでしょう。

 

自分の権威が落ちる事を懸念している

怒鳴る人は自分の権威が落ちる事を心配している人かもしれません。

大きな怒鳴り声で相手を委縮させれば自分の権威が保たれると考えているという事です。

 

上司や社長等でよく部下を怒鳴りつける人がいます。

この手の人物は自分の権威が落ちる事を懸念しているという事もあります。

「相手になめられたどうしよう」

「見下されたららどうしよう…」

と、内心不安な気持ちを持ち合わせてしまっているのですが、その不安な気持ちを解消しつつ相手に自分の権威性を認識させ続ける為に、怒鳴るという戦法を使う訳です。

 

なお、怒鳴られた側は恐らく怒鳴った側の人間を高評価しません。

「あっ、あの人何か怖がっているんだ」と感づかれるのが関の山なのです。

 

本当に強い人は、物静かで何を受けても倒れない人です。

怒鳴る行為は、見る人が見れば賢明な行動だとは判断されない事でしょう。

 

複雑でよくわからない人だと思われやすい

怒鳴る事心理的に相手に自分を理解させたいと、思うのが怒鳴る人の心理です。

しかし多くの人は何故どなっているのかよく理解できません。

 

なので、「すいませんでした」と誤ってみたり、「まぁまぁ…」となだめようとするわけですが、それは逆効果。

相手はさらに怒りを増してしまいます。

理由は簡単。

それらの行動は、自分が理解されたからこその行動ではなく、ただ怒りを鎮めさせる為の行動だからです。

 

自分は”理解されたい”と思って怒鳴ったにもかかわらず、相手は”なだめ”とか、”自責”とか、”反省”を返されたとすればそれは不本意と言えます。

 

結果、「謝れば済む問題ではない!」と怒鳴ったり、「そういう問題ではないんだ!」と延々と怒り続けるという状況が作られるようになります。

 

その結果、周囲の人間はひたすらに混乱します。

怒りに対しては、慰めや反省が有効だと理解していたのに、それが怒鳴る人には通じないからです。

 

これが怒鳴る人が人に理解されない理由です。

 

不安定な人と言う事もある。

自分の感情のコントロールを聞かせる力を身に着ける事無くそのまま大人になったなら、怒鳴る人になっても不思議ではありません。

 

人は、大人になる段階で徐々に、「怒鳴るのは良くない」「社会との調和を大事にしよう」と考えるようになっていきます。

ですが、精神的に不安定な人はそんな事言ってられません。

 

兎に角心が揺らげば何かしら外部に当たらない事には、収まりがつかないのです。

その反応が怒鳴るという対応になって出てきます。

抑えの利かない怒鳴り方をするので、自分も周囲の人も対処に困る事が多いです。

 

怒鳴る人への対処法は?

話は最後までちゃんと聞く

怒鳴る人の話は最後までちゃんと聞いてあげるのが有効打です。

延々と怒鳴り続けられる人は居ません。

徐々に体力を使い切り、最終的に落ち着くときがやってきます。

 

怒鳴る事は精神的にも肉体的にもエネルギーを消耗する行為です。

ですから、そのエネルギーをあえて全部吐き出させるという事が有効であるという事なのです。

 

例えば、家族の1人が凄まじく怒鳴ったとすればそれを敢えて聞き入れます。

延々と聞き入れるだけと言う状況を創れば、いずれ精神的な”ガス欠”になり、怒るのを辞めてしまうはずです。

 

そうやって一度エネルギーを消耗させキル事で、怒鳴る人を一旦静かにさせる事が出来るのです。

 

 

我慢に我慢を重ね爆発したというパターンもある

我慢に我慢を延々と重ね続けると人はどうなってしまうのでしょうか?

僕は最終的に爆発すると考えています。

 

「怒ってはいけない」「冷静でなくてはいけない」「相手には優しくなくてはいけない」こう考える事自体は、第三者への配慮に繋がる行為になる湧き絵ですが、肝心要の自分自身を多少ないがしろにしてしまっています。

自分へのストレスが延々と溜まっていてもそのはけ口が無い状況になるからです。

 

さてこのタイプの人にひたすらストレスを与えるとどうなるのだろうか?

溜まり給ったストレスで、いずれ爆発すると考えます。

 

当然です、ひたすらに圧力が上がり続け今まで積もり積もった怒りが一斉に吹き出て来るのですからそれはもう凄い怒鳴り声をあげて怒る事になります。

 

ストレスの発端と何れかの決着が付けないと再発の可能性もあるのですが、この手の爆発が一度でも起きようものなら自然と、ストレスの発端と怒鳴った人物の間に何れかの変化が起きるでしょう。

 

まとめ

怒鳴る人物は自分を理解してほしいという一心から、人を怒鳴りつけるという事が解って頂けたかと思います。

必ずしも、人を脅したてて何かを得ようという思いで動いている訳では無かったという訳です。

 

人間、面白いもので本音・本心と言った物を行動・言動で無理に覆い隠す癖があるのではないか?と僕は思っています。

その一環がこの、”怒鳴る”という行為なのではないでしょうか?

 

怒鳴る人物を見かけたら、受け入れてほしいという心の叫びではないか?とワンクッション挟んで考えてみると良いでしょう。