会話中に足を開いて会話するようになっていく人が居ます。
彼らは何故足を開くのでしょうか?
傍から見ると、ラフになったと感じるこの動作にどのような心理があるのか…?
この記事では探っていきたいと思います。
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心を許している
足を開く人の心理は、心を許しているというものがあります。
股間には人間の弱点がある訳ですが、足を開くという行為は、その弱点晒す体制になるのです。
弱点を晒すことができる相手とは、一体どんな相手でしょうか?
それは、「心を許している相手」だということができますね。
逆に、足を開く事が出来ない人というのは警戒されている人だということができます。
初対面であったり、面接の最中であれば、相手に対する不信感や、まだ心を許すことができないという気持ちが少なからず渦巻いているはずです。
それが足に出てしまう訳ですね。
ここで具体例を入れたいと思います。
具体例1:転校生
例えば転校生であれば、最初こそ緊張してしまい相手と仲良くするのに抵抗感が出てしまうものです。
しかし、趣味の一致でしたり、雑談の積み重ねといったものを段々としていくうちに、気が合う人を見つけだすことふが出来るようになり、最終的に気兼ねなく雑談が出来るようになっていくのです。
実際に気を許しているかどうか見る際は、食事中の雑談時に足の動きを見るといいかもしれませんね。
相手に対して不安感が無くなっていれば、足を開いて会話してくれている可能性が高まります。
足がせわしく、組んだり開いたり閉じたりしていれば、少なくとも警戒していません。
警戒しているときは、じっと守りの構え(足をきれいに閉じる格好)をし続けるからです。
具体例2:会社の新人社員
会社の新人社員は、来たばかりの組織に緊張して中々会話をしたりする事が出来ません。
なので、会話を振られた時などは、足が硬直してしまうのです。
会社員ともなれば、ある程度相手の気持ちを考えて行動できるようになっていますから、ジェスチャーでしたり、笑顔を作りだすことで、相手に変な警戒心を抱かれないように気遣えるでしょう。
しかし、顔やジャスチャーなどには誰しもが意識をむけられても、足元は盲点になりやすいのです。
結果、上半身だけ友好的なのに、それにそぐわないような緊張感のある足遣いをするということをしでかします。
足を開いてゆったりと会話しているときが、心を許した時だということができます。
緊張感が無い
足を開く事は友好の気持ちの現れであり、落ち着きの現れでもありますが、これは時と場合を選びます。
慣れ過ぎて緊張感を失ってしまい、足を開く人も居るのです。
緊張感が全くなく、素の自分をさらけ出すことができている訳ですが、それを公衆の面前でそれも、見ず知らずの他人に対してみせてしまうのは見ていていい物ではありませんね。
足を開くことで、ふてぶてしい人に見られる事も…
例えば、電車の中の出勤・退勤中の会社員。
ふてぶてしく足を広げている姿を見たことがある人も数多くいらっしゃることでしょう。
あれは緊張感の薄れが原因です。
毎日同じ出勤・退勤という動作を繰り返すうちに初対面の他人が沢山乗っている事への配慮や、緊張感が薄れて自然な自分が出てしまっているのです。
見る人が見ればあまりよろしくない光景に映るでしょう。
しかし本人は無意識くつろいでしまっていますから、自力では中々気づけないものなのです。
まとめますが、くつろぎを表す足を広げる動作は、時と場所を選ぶものだといえます。
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まとめ
足を開く心理をまとめます。
ですね。
あなたの人生の一助になれば幸いです!
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